このツアーもはや10回目を迎えます。
我々の伝えたい熱い思いと、被災地の皆様方の温かい気持ちに支えられての結果かもしれません。
毎回毎回新しい出会いや発見があり、そのつながりは大きく、そして益々強くなり、東北が第二の故郷となりつつあります。
本当に素晴らしい震友がいっぱいで、更に増えていく事でしょう。
今回は平成29年10月4日(水) 出発の2泊3日で、宮城県は栗駒高原と気仙沼を中心に、最終日に福島市を訪問。
今回も新たに素晴らしき方々との出会いもあり、また沢山の方々との再会もありました。
そこには感動もあり、感慨もあり、毎回毎回考えさせられることばかりです。
そんな3日間の出来事を写真と共にご覧頂き、震災から6年半経過した現在のそれぞれ違う環境での現況がお伝え出来れば幸いです。
10/4 早朝、今回参加の7名が新横浜駅集合。
東京駅経由の東北新幹線で一ノ関へ。
今日から3日間お世話になるSさんが、迷子を心配してなのか?駅改札出口までお出迎えいただく。
駐車場にはAさんも待機して頂いており、半年ぶりの再会にてしばし賑やかに。
SさんAさんの二台に分乗し、一路栗駒高原を目指す。
途中、道の駅で昼食。 8種類の一口サイズのもちが一度に食べられる、人気の「和風もちセット」などで満腹に。 (さすが餅文化が根付いてます)
キャラバン隊の日程にはいつも「観光」という言葉は皆無に近く、半年前の訪問時に、Sさんからは “秋に来られるなら是非とも紅葉の栗駒高原へ” との勧めもあり、少し天候が気になりつつも標高1627mの栗駒山を目指す。
岩手、宮城、秋田三県に広がる名峰、栗駒山は、ブナ、ナナカマドなどが全山を覆い、雄大な自然美を楽しめる。東北地方のほぼ中央に位置し、山頂からは太平洋までが一望できる絶景地として知られている。
標高1113mにある、いわかがみ平(車はここまでで後はトレッキングとなる)到着時は、気温5℃前後の白いものが混っての暴風雨状態。しばらくは車の中で待機。雲の切れ間を見つけては急いで栗駒高原の紅葉をカメラに収める。
駐車場から少し上にあるレストハウスまで出発するが、寒さに耐えきれず車の中へUターン。 雨風が少し収まったところで最後に記念写真を。
気温の低さから栗駒高原でのトレッキングは諦め、標高650mまで下ったところにある ハイルザーム栗駒 (本日の宿)へ。
キャラバン隊が栗駒高原で一泊するにあたり、相馬の若者2名が160kmの道のりを、南相馬市からはKさんご夫妻が180kmの道のりを、いわき市からはNさんご夫妻が250kmの道のりを、我々に会うために来ていただきました。
これぞまさに素晴らしき震友に感謝・感謝です。
15名での懇親会では、再び熱い思いを語りあい、最後は恒例の相馬5本締めにてお開きとなりました。
相馬若者、Kさんご夫妻、Nさんご夫妻とは2日目朝にお別れし、再びSさんAさんの二台に分乗して、今回気仙沼支部長?のSさんがアレンジして下さった何か所かへと出発。
最初は、気仙沼市の自然に囲まれた工房で、親子の暮らしを支援している「NPO法人 ピースジャム」を訪問。
子どもを軸にした地域コミュニティの形成活動、子育て期の母親が就労と育児の両立を図れる雇用支援を行っており、工房には育児を支え合いながらジャムやベビー用品の製造販売をし、その収益によって地域へ開放している広場の運営や新たな親子の雇用へとつなげている団体である。
代表の佐藤賢さんは震災前バーテンダーという異色経歴の持主。
当団体以外にも、地域活動への熱心な取り組みは40歳の若さで素晴らしい。
工房ではジャムと縫製品づくりがされていて、ママたちは育児と仕事を支え合って過ごしています。製品の「ベビーモスリン」は、赤ちゃんに優しい素材として世界中のママと赤ちゃん達に愛されています。
次の訪問は、昼食を兼ねて「菓子舗 サイトウ」を訪問。東日本大震災により店舗が被災し仮設店舗での営業を続けておられたが、本年5月に海岸に近い丘に新店舗をオープンされました。
70歳を過ぎてもなお、気仙沼市で採れた物産(海産物や農産物)を使ったオリジナルのお菓子作りに挑戦されておられる姿には感銘の一言です。
はらぐろ饅頭、さんまパイ、気仙沼いかせんべい、ホヤぼーやサブレ、等ユニークな商品名にも注目。
次に訪れたのは「目黒のさんま祭 気仙沼実行委員会 会長宅 蔵 」
江戸落語「目黒のさんま」からの誕生秘話から、40年間も途切れることなく継続してこられた苦労話、目黒区との姉妹都市交流、沢山の方々との出会い と交流等々、いくら時間があっても足りない程素晴らしいお話しを聞かせて頂きました。
併せて蔵の中に点在するお宝にも驚く事ばかりでした。
2日目前半、少し時間の余裕が出来たのでアポイント無しではあったが、2年前にもお世話になった「唐桑御殿 つなかん」を訪問。
残念ながら仙台にお出かけ中との事で、お会いする事は出来ませんでした。
2日目夕刻、気仙沼災害公営住宅にお住いのAさん宅に、キャラバン隊と、バラの会総勢17名が集合し、懇親会がスタート。
『 懇親会の趣旨は横浜の皆さんに、3.11 ・ ・ ・ 暗闇と寒さと何も無いあの日を体験して頂く 』 と聞かされていたのですが、
少し迷いながらAさん宅に到着すると、おにぎり一つのつもりが気仙沼の新鮮な海の幸満載と奥様方の温かい手料理がテーブル狭しと準備されており、驚きを通り越してのおもてなしでビックリ仰天でした。
懇親会は最後まで大声と笑いの渦に包まれ、バラの会とNPO結ぶが一つになれたひと時であったように思えます。
この様なおもてなしに心から感謝するとともに、心を込めて準備頂いた食事を食べきれずに「本当にスミマセン」
最終日、気仙沼市役所を訪問。
震災復興・総合企画係 K主査にお会いし、震災復興の現状について説明を受ける。
準備して頂いた資料に基づき、復旧・復興の状況についてお話しを聞く。
震災要因はあるももの、気仙沼市も人口減少、少子高齢化の問題は大きいとの事。ご自身は現在派遣の形で気仙沼に来ておられるが、元々は気仙沼が故郷でもあり、今後事業計画や整備計画にも複雑な思いがあるようです。
気仙沼での最後は震災・津波で店は全壊、大切な家族を目の前で亡くされた「すがとよ酒店」の女将の辛かったお話しと『まげねぇぞ気仙沼』で頑張っておられる姿を拝見しながら、お土産の銘酒をそれぞれ購入させて頂きました。
気仙沼から一ノ関まで送って頂き、Sさんと途中交代して運転して頂いたSuさんとは、名残惜しいけれども来年3月の再会を約束しここでお別れです。
3日間本当に有難うございました。
一ノ関から福島駅にて途中下車。 野崎先生にお会いするため、福島市内に新店舗をオープンされた喫茶「椏久里珈琲」へ移動。
福島県飯舘村にあった椏久里珈琲は、原発事故で避難区域になったことにより、福島市に仮店舗を経て、現在の店舗で再開されています。
忙しい中、奥様からは飯舘村の現状に関して、民意が無視されたなかでの帰村宣言、それによる村民が分断された現状、更に分断は各家庭内にまで広がってしまっている状況等、かなり衝撃的なお話し内容ばかりでした。
あらためて原発避難による住民一人ひとりの苦しみには心が痛みます。
野崎先生とのお話が十分出来ないまま戻りの時間が近づいたので、再び福島駅から新幹線にて東京経由の新横浜駅で無事解散。
今回のキャラバンもやはり色んな事がありました。
少し天気に恵まれなかったけれど、栗駒高原の紅葉は本当に奇麗でした。
その栗駒まで遠路来て下さったNさんご夫妻、Kさんご夫妻、相馬の若者、有難うございました。
新たに出会ったピースジャム、菓子舗サイトウ、目黒のさんま祭等々素晴らしい方々ばかりで、これからの繋がりが楽しみです。
そして、特に車ではお世話になった、気仙沼のSさん、Aさん、Suさん、更にバラの会メンバーと奥様方、本当に有難うございました。
今回出会った皆さん、来年の3月に再会出来ることを楽しみにしています。
皆さんお疲れ様でした。