恒例となっている被災地へ元気と笑顔を届けたいと宮城県と福島県へ行ってきました。
今回も気仙沼ではSさんに大変お世話になり、新しい出会いがあり、多くの繋がり、感動、気づきがありました。唐桑半島を案内して下さったBさんはSさんの同級生です。Bさんの自宅は津波で壊れ、残った納屋は「かえる塾」として多くのボランティアさんの宿泊所や(約3000人を受け入れている)、集まり場所として提供し、応急仮設住宅ではリーダーとして取りまとめをしている頼もしく、優しい心の持ち主です。唐桑半島はかつては牡蠣御殿と言われるくらい牡蠣の養殖が盛んな所でした。今回の震災により漁師のみならず大きな被害を受けた地域でもあります。何度も津波の被害を経験し「地震が来たら津波の用心」は合言葉になっていた地域でもあります。それでも多くの被害を受けて、本当に想像を絶する地震であった事は皆様の口から語られました。
宿泊をした民宿「つなかん」も3月10日にやっと出来た牡蠣の筏を翌日には全て流されたのです。しかし2013年10月には自宅をファンドを使って民宿として再生させたのです。民宿には奥様を震災関連死でなくされたYさんも夜には合流し、つなかんには多くの若者が集まり、一生懸命唐桑の再生のために議論を重ねている姿に圧倒されました。今まで色々な地域を訪ねていますが、ここ唐桑はどこか違います。それはなんだろう?今回出会った人たちの口から「震災のおかげだ、震災が起きてよかった」「感謝しているよ」と。「いろんな人に助けてもらったし、いろんな仲間がふえたし、つながりいっぱいだもんなあ」と。ここは間違いなく5年の年月を感じさせ、元気で明るい前向きな姿にこちらが元気と笑顔をいっぱい頂きました。昔から唐桑はみんなが仲良しだったそうです。感激してしまいました。ありがとうございます。「忘れたいんだよ。でも忘れて欲しくない」ズシーンと響きました。
次の訪問地である名取市閖上は震災により壊滅した場所です。先祖代々から津波の怖さを聞かされていたにもかかわらず、誰も自分のところは津波は来ない、と思っていたことが、被害を大きくしたのではないかとの事でした。皮肉にも、閖上にも「地震が来たら津波の用心」の石碑が残されていました。しかし誰もその石碑があったことを知らなかったそうです。津波で流された石碑をみてわかったそうです。閖上の人たちも震災後のつながりは見事なものであり、子供達の心のケアーにはいち早く取り組み、子供たちがジオラマ作りをする事によって震災を受け入れて、乗り越えて行けるよになった過程を伺い、胸を打つものがありました。閖上も震災をプラスに捉えた考えで動いています。「震災で受けた記憶を忘れないために、震災を受け止め伝えていきたい」との言葉が印象的でした。
最後の訪問地である福島は夏休みに行った企画「福島kidsどろんこプロジェクト」でお世話になったNさんと一緒に茶畑に伺った。代表のKさん、ママさんリーダーのNさんや子供たちも集まって来てくれ、嬉しい再会が出来ました。つながりを確信!!ファイト!!
今回出会った人達が3月のイベント時に来てくれる事を願い東北を後にした。
そろそろ5年目を迎ようとしている東日本大震災、復興はまだまだ、でも少しずつですが進んでいます。
今回の訪問で出会った皆様の気持ちは確実に前へ一歩進み始めていました。唐桑も閖上も川俣もいっぱいの笑顔が眩しかった。「わすれない」の意味しっかり考えないと。
今回お会いした多くの皆様、とりわけお世話くださったSさんNさんありがとうございました。
次回はいつお目にかかれるでしょうか。今から楽しみです。
NPO法人 結ぶ 理事長 図子 俊子
気仙沼から陸前高田へ奇跡の一本松とベルトコンベアーの写真。かさ上げが順調に進みコンベアーも取り壊されつつある。地元の人は被災地のジェットコースターと呼んでいた。
陸前高田の今昔の様子。ジェットコースターのように見えるベルトコンベアー。かつては大理石が取れていた大理石海岸。
陸前高田のお医者さんの奥さまが主になり、地元の人の為の健康推進カフェを立ち上げ、就業支援の場にもなっている。皆前向きに進み始め明るく、元気である。
今回案内をして下さった馬場国昭さんの震災時の自宅の写真。唯一残った物置小屋を今は「かえる塾」としてボランティアの宿泊所や集会所として提供している。馬場さんはここを訪ねる友の事を震友と呼ぶ。多くのボランティアさんが寄せ書きを残している。「かえる塾」を訪れた人は約3000名。
日本で初めての津波体験館。宿泊場所の「つなかん」のおかみさんが民宿を始めたきっかけ等話している所。元々は牡蠣の養殖をしていたが、自宅を改修して民宿として開業。多くの苦難を乗り越えた強さと明るさに励まされた。
気仙沼から秋保温泉へ紅葉が見事であった。
閖上地区 語り継ごう震災を!震災前の閖上の写真を見てガイドさんが説明。閖上中学校 震災当日は卒業式が行われていた。
閖上の子ども達の心のケア―のワークで作られたジオラマ。震災前の閖上・震災当日・未来の閖上。
亡くなった人をいつでも思い出してほしいとの思いで作られた慰霊碑なでて下さい。石が何時までもあたたかい様に。津波の高さ8m50cmの高さの塔。日和山からみた閖上、まだまだ先が見えない。
福島kidsどろんこプロジェクトに参加してくれた子どもとお母さんと再会嬉しい時間。ちゃばたけの皆さんと記念写真。